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ニューヨーク時代はカジノに熱中していたというアイ・ウェイウェイ。実は、ブラックジャックプレイヤーとしての腕前も一流なのだとか。
中国で現代アートの動きが始まった1980年代から、中国における現代美術を先導してきたアイ・ウェイウェイ(1957年~現在)。インスタレーション、写真、建築、キュレーションなど、多岐にわたる表現方法で、現代美術家・社会運動家として世界各地で活動しています。痛烈な批判を込めた作品や大胆な試みが、論争を巻き起こすことも多いアーティストです。
生まれは中国・北京市。幼少期、著名な詩人である父・アイ・チンが文化大革命で非難を浴び、一家で労働改造所(強制収容所)に送られます。毛沢東が死去した1976年に解放されて、北京に戻ることができました。
1978年、北京電影学院に入学してアニメーションを学びます。同期には、『さらば、わが愛/覇王別姫』や『北京ヴァイオリン』で知られる映画監督、チェン・カイコーもいたそうです。
1981年に渡米し、ニューヨークのパーソンズ美術大学に在籍。1993年に北京へ帰郷した後は、若手の実験芸術家グループ「北京イースト・ヴィレッジ」の設立を手助けするなど、90年代前半の中国現代アートを牽引していきます。
2008年に開催された北京オリンピックのスタジアム『鳥の巣』のデザインに選ばれたことで、アイ・ウェイウェイの名は世界的に広く知られるようになりました、
2008年に四川大地震が起きた後は、被害の全貌を明らかにしない中国政府を批判し、自ら犠牲者の実態調査をおこなって責任を追及。そして、鎮魂の意を込めて、犠牲者の数の通学用リュックを蛇の形に繋げた作品『天井の蛇』(2009年)を制作しました。
反体制の活動によって、2011年4月、アイ・ウェイウェイは中国当局によって拘束されてしまいます。海外や人権団体からの非難が相次いだことで、同年6月に解放。2015年には、没収されていたパスポートも返却され、ドイツ・ベルリンに出国。その後は、海外での活動が注目されています。
良い状態で発掘された漢時代の壷を、抱えて、落として、割る、という作品。この作品を見て、「なんてことを!」「これがアート?」という人も多くいて、大論争になりました。でも、こうして作品を見た人が考えさせられることも含めてアートなのでしょう。アイ・ウェイウェイがこの作品を通して壊したかったのは、古い価値観や慣習かもしれませんね。壷、もったいないですが。
世界中のランドマークに対して、中指を立てた写真を撮影した作品。この天安門広場での写真が広まって物議を醸しましたが、実際には、ホワイトハウスやエッフェル塔など、実にさまざまな場所で撮影されている連作です。反骨精神あふれるアイ・ウェイウェイらしい作品でもあります。それにしても、『遠近法の研究』というタイトル、「その言い訳、無理ある~」と思いながらも、アイ・ウェイウェイの茶目っ気を感じますね。
2009年に東京・森美術館で開催された、日本初の個展。1990年代以降に制作された主要作品26点に加えて、この展覧会のために制作された新作6点が展示されました。
アイ・ウェイウェイの過去最大級の個展ということもあり、来場者数は、なんと46万人!アイ・ウェイウェイの日本における注目度の高さが分かります。
アイ・ウェイウェイさん、そんなことしてたんだ。笑
— U-ichi Abe (@kamex) May 28, 2020
アーティストのアイ・ウェイウェイが2009年に行った、ミース設計のバルセロナパヴィリオンの2つの池の水を、牛乳とコーヒーに入れ替えるというインスタレーション作品の動画@archiphoto#architecturephotonethttps://t.co/c7nWOoAqdR
アイ・ウェイウェイの話は、「表現の不自由」展が攻撃されている今こそ、聞いてほしいですね。文字起こしはまだありません。 https://t.co/GFot8eWPVE
— 町山智浩 (@TomoMachi) August 2, 2019
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
アイ・ウェイウェイが世界で一躍有名となるきっかけになった作品。北京オリンピックのスタジアムとして、スイスの建築家・ヘルツォーク&ド・ムーロンとのコラボレーションで、アイ・ウェイウェイが芸術顧問として携わった案が採用されました。
しかしその後、オリンピックは全民族のためのお祭りではなく、政治的なプロパガンダの場に過ぎないと批判したアイ・ウェイウェイは、開会式にも出席しませんでした。オリンピック競技場のデザイナーとして中国を代表するアーティストになったことよりも、その後のアナーキーなエピソードのほうが、アイ・ウェイウェイらしいです。