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日本を代表する芸術家(1933年~現在)。しかし、名前やジョン・レノンの奥さんということは知っていても、案外作品を知らない方は多いのでは?
1933年、東京生まれ。父親の仕事の関係で幼少時代を東京やサンフランシスコ、ニューヨークなどで過ごし、開戦前には日本に帰国, と幼少時代から既にグローバルな経歴を辿っています。
彼女の母親は安田財閥の祖である安田善次郎の孫にあたる人物で、親族には医学者の小野康平、外交評論家の加瀬俊一、歌舞伎役者の片岡仁左衛門、ヴァイオリニストの小野アンナ、地理学者の小野有五、画家の石井茂雄など著名人ばかりです。彼女自身も大変裕福な家庭で育ちました。20歳まではそのまま日本で過ごし、その後父親の赴任先のニューヨークへと移り、サラ・ローレンス大学で音楽と詩を学んでいきます。
その後彼女は大学在学中に出会ったピアニストの「一柳慧」氏と結婚。共に前衛的な芸術活動を行い、前衛芸術の運動である「フルクサス」のメンバーの一人として評価されていきます。(ちなみに、オノ自身はどこにも属したくない、とフルクサスから距離を置いていたようです。)
1960年代からは一柳氏と共に日本に活動拠点を移しますが、当時の日本において、まだまだ前衛芸術は新しいもの。作品が理解されず、1962年に離婚は一柳氏と離婚...と辛い日々を過ごしていたそう。そんな日々を救ったのが、後に二番目の夫になるジャズミュージシャンかつ映像作家のアンソニー・コックス氏です。
1963年に再婚し、長女キョーコを出産。1964年には再びニューヨークに戻り活動します。1966年にはロンドンに渡り、初めてジョン・レノンと出会うことに。オノ・ヨーコ自身はアンソニー・コックス氏と夫婦、ジョン・レノン氏もシンシア・パウエル氏と夫婦であったにも関わらず、二人は恋に落ちていきます。
二人が出会ったのはビートルズ全盛期。ジョン・レノン氏は東洋の文化に興味を持っていたということもあり、オノ・ヨーコ氏の作品に強く惹かれたのでしょう。出会った頃はパトロンのような存在で、オノ・ヨーコの個展に出資するなどしていたとのこと。その後お互いに離婚が成立し、1969年に二人は結婚する運びとなりました。
結婚して間もないころ、ビートルズが解散したこともあり「ビートルズを解散に追い込んだ女」として誹謗中傷されることもあったそうです。しかし二人はニューヨークに移住し、北アイルランドで起きている紛争の抗議デモに参加、知的障害を持った子供の救済コンサートなど政治活動やボランティア活動を積極的に行っていきました。1975年には二人の子供ショーン・レノンが誕生。
1980年にはジョン・レノン氏は銃弾を受け、40歳という若さで突然命を絶たれてしまいます。オノ・ヨーコ氏はジョン・レノン氏の死後について「まるで雪原の中に2人で立っているようだった」と語っており、彼の死を悼んでいました。
この作品は床にアート作品を置くという、挑戦的ともいえる作品。「芸術作品は美術館で厳かにみるようなもの」という考え方を覆す、まさにオノヨーコらしい作品でしょう。
作品内容はいびつな形をしたキャンパスを床に広げ、それを踏みつけることで完成する作品という大胆なもの。1960年代に活躍した芸術家は白人かつ男性アーティストが主で、オノ・ヨーコのような人物はマイノリティーでしたが、アジア人・女性という立場でも怯むことなく芸術の道へと突き進んでいきます。この作品のコンセプトを感じるだけで、彼女の芯の強さや確固たる自信が伝わってきませんか?
できるだけ人生を楽しんでね。本当に楽しいかどうかなんて考えないで。
自分の小さな世界だけでなく、大きな世界に興味を持つことから始めてください。
宇宙にお礼を言って。いつもあなたに良くしてくれていることや、この世に生を受けたことを。
2015年11月08日~2016年02月14日に東京都現代美術館で行われた。ここまでの量のコレクションがまとまった形で見られるのは日本初。
オノ・ヨーコがアーティストとして花開く前の初期の活動などを紹介しているのが、この展示会の見どころのひとつ。またオノ・ヨーコの代表作である「グレープフルーツ」に関する展示も見どころでしょう。ハガキに書かれた膨大な原稿をはじめ、1962年に草月ホールで発表された指示絵画を複製絵媒体に生まれ変わらせるなど日本初公開となる作品も数多く発表したそうです。さらにグレープフルーツのオリジナルの初版本も合わせて展示しており、見る人の想像力を掻き立て、新しい美術とは何かを問いかけるきっかけになっています。
オノ・ヨーコを知るファンの方々だけでなく、全く知らない方が鑑賞しても非常に面白かったのではないでしょうか。これが絵画なのかと不思議に思うような作品も多く、これまでの考え方を全て覆す展示会になっています。
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
この作品はジョン・レノン氏との恋のきっかけになったことでも有名です。1966年インディカ・ギャラリーで実施した個展「未完成の絵画とオブジェ」にて発表されています。
部屋の中央部には脚立が設置されており、その脚立にのぼり天井のキャンパスに描かれた文字を虫眼鏡で覗く、という実験的な作品。苦労して虫眼鏡を覗くと「YES」という文字を読む事ができる、全ての人を肯定してくれるような作品です。
もちろん、オノ・ヨーコ氏のこの世界観をきれいごとだと否定する人は多いかもしれません。しかし、たった一言「YES」と言う言葉が自分に向けられることで、これまでの人生を認めてくれたと感じるのではないでしょうか?