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柔道の修行のため、日本に1年間滞在したこともあるイヴ・クライン氏。講道館で黒帯四段を取得したほどの腕前だったそうです。
イヴ・クライン(1928年~1962年)は、独創的なパフォーマンスや作品で知られるフランスのアーティストです。モノクローム絵画、人体測定、火の絵画など、斬新な発想で多くの傑作を生み出しました。
また、「青」の神秘的なエネルギーに惹かれ、「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」と呼ばれる青色を自ら作り出したことでも有名です。フランスのニースに生まれたクラインは、少年時代に見ていた地中海や空の紺碧から影響を受けたと言われています。さらに18歳で薔薇十字団に入って神秘思想を得たことで、色の持つ神秘的な力に惹かれていきました。
1948年頃から、単色によるモノクローム絵画の制作を始めましたが、その作品には批判的な反応も多く、展示を拒否されたことも。1957年にミラノのギャラリーで開催された個展で、オリジナルの青色顔料「IKB」を使用した作品群を発表したことで、一躍注目を集めました。
1958年にパリで開催した『空虚』展は、何も展示されていない空間に、観客3000人以上が訪れて物議を醸しました。ギャラリーの外部やロビーはIKBの「青」で統一され、観客に青いカクテルが振る舞われましたが、ギャラリー内は真っ白に塗られた空っぽの部屋があるだけ。中には怒り出す観客もいて、警察が出動するほどの騒ぎになったとか。
1960年から始めた「人体測定」シリーズや、ガスバーナーを使った「火の絵画」では、公開制作によって儀式的なパフォーマンスをおこないました。「人体測定」の作品群は、クラインが日本滞在時に知った、力士の手形、魚拓、広島の原爆などの影響を受けているとも言われています。
1962年にアーティストの女性と結婚したクラインでしたが、その数か月後、34歳の若さで亡くなってしまいました。グァルティエロ・ヤコペッティ監督によるモンド映画『世界残酷物語』の試写会を観たクラインが、自身のパフォーマンスの使われ方に憤って心臓発作を起こしたことが、死因になったとされています。
クラインが1960年から制作を始めた「人体測定」シリーズ。モデルの身体に青の絵具「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」を塗り付けてキャンバスや壁に押し付けたり、横たわるモデルの周りに顔料を吹き付けたりして、その痕跡を残した作品群です。公開制作の際には、クラインも観客も正装で、自作曲『モノトーン・シンフォニー』を指揮しながら、オーケストラが演奏する中で制作に臨んでいたとの逸話があります。神秘的な儀式のようですね。
イヴ・クラインと言えば「青」!こちらの作品も、白い石膏像を、クラインお気に入りの青「IKB」で着色したもの。この石膏像、もとはデッサンなどに使われる「女子トルソー(中)」と呼ばれる既製品です。顔料の質感や美しいブルーがあり、ただ着色しただけにも関わらず不思議な魅力のある作品です。
日本で初めて開催された、イヴ・クラインの回顧展です。1985年から1986年にかけて、高輪美術館(現・セゾン現代美術館)、滋賀県立近代美術館、いわき市立美術館、西武美術館(現・セゾン美術館)を巡回。活動初期のモノクローム絵画から、「人体測定」や「火の絵画」のシリーズまで、イヴ・クラインの代表的な作品が一堂に集められました。
昔からブルーが大好きで、剣道着の藍色も好きだった。そしてイヴ・クラインのブルーは何度見ても好きで、ポンピドゥーでもクライン展でも釘付けになったし、ケルンでも観に行ったなぁ。そして作業部屋この色にしたい・・・練習捗りそうな気が。この色のドレスも欲しい!https://t.co/dodtXQ05et
— Takako Imai (@takakoimai_fl) March 31, 2019
学生時代、美術館でイヴ・クラインの「火の絵画」を前に途方に暮れていたとき、後ろにいた両親に連れられた3歳くらいの女の子がひとこと「雪の花火!」と嬉しそうに叫んだ。ぼくにとってあの子は、現代の難解な作品の楽しみ方を教えてくれた「師匠」だと思っている。
— moicafe (@moikahvila) October 6, 2017
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
空中を飛びたいと夢見ていたクラインが、屋根のひさしから飛び出す様子が写されたこの作品。「このあと、イヴ・クラインどうなっちゃったの?」と心配になりますが、実はこれ、合成写真だそうです。クラインは、この写真を掲載した1日限りの新聞を発行して、パリ中の新聞店で販売しました。これを見て、体を張ったパフォーマンスだと思ったパリの人は、さぞかしびっくりしたはずです。