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ジャン・フォートリエ

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ジャン・フォートリエ
引用元:世界現代美術作家情報 http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress/aaa/世界の洋画家/スペイン/ジャン・フォートリエ/

ジャン・フォートリエは
どんな人?

Jean Fautrier。フランスの画家であり彫刻家(1898年~1964年)。第二次世界大戦後の抽象芸術における先駆的人物であり、タシスム(抽象表現主義)を語るうえでは欠かせない芸術家のひとりです。

生まれはパリ。10歳で母親とともにロンドンへ移り、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで美術の基礎を学びます。

初めはパリを拠点に写実的な絵を手掛け、1922年にはフランスの美術展「サロン・ドートンヌ」に初展示。2年後にはパリで個展を開催します。抽象的な作品を描くようになったのは1928年頃です。

著名な画商と契約するなど順調だったものの、1929年からの世界恐慌の影響もあって画廊との契約も打ち切りに。生計を立てるため、フランスのリゾート地でスキーのインストラクターをしていたこともあったそうです。

第二次大戦中の1940年頃にパリへ戻るも、レジスタンス活動の疑いをかけられゲシュタボ(ドイツの秘密国家警察)に追われる身に。しかし、そうした過酷な体験から、彼の代表作となる『人質』のシリーズが生まれます。絵具の塊を押し潰したような独自の絵肌で、人間の頭部を抽象的に描いた斬新な作風は、「最も戦後的な画家」といった賛辞を生むなど高い評価を獲得。アンフォルメル(ヨーロッパ各地で起こった前衛芸術運動)の源流にもなりました。「戦争をくぐり抜けて得た非情な人間観」「鉱物のような人間像」が表現されているとも評されています。

日本で注目されたのは戦後で、1959年には来日して個展を開催。

1960年にはベネチア・ビエンナーレ(現代美術の国際美術展覧会)で見事大賞を受賞しています。その4年後に生涯を終えますが、没後も、1989年にはパリで、2005年にはスイスで回顧展が開かれるなど、注目され続ける芸術家です。

ジャン・フォートリエの代表作

フォートリエ晩年の連作にして
代表作である「人質(連作)」

ジャン・フォートリエ「人質」

引用元:This is Media https://media.thisisgallery.com/20180193

人質の頭部 No.9
Tête d'otage
発表年
1944年

東京ステーションギャラリーによる解説では「その厚く盛られた焼きもののような独自の絵肌や、戦争の犠牲者という題材、また題材自体をより連想させる抽象化した表現など、「これまでの絵画とは違う」斬新性が人々に衝撃を与え、注目を集めました。」と記載があります。

「人質」シリーズが発表される前年、フォートリエはドイツの秘密警察・ゲシュタポに捕まっています。パリから逃走し、避難先でこの「人質」を制作しました。

この連作でアンフォルメル(フランス語で「不定形」の意味。英語ではアン・フォルム「形のないもの」という感じでしょうか)の代表的作家として名をはせたフォートリエ自身は「アンフォルメルの画家」と言われることを嫌っていたそうです。

確かに「不定形」を求めたのに、何かの型にハメられるほど、作家にとってイヤなことはないのかもしれません。

その他の「人質」作品

ジャン・フォートリエ「人質の頭部」
引用元:東京ステーションギャラリー http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201405_JEAN_FAUTRIER.html
ジャン・フォートリエ「人質の頭部No.20」
引用元:安部雅延のグローバルワークス http://globaltalk.masanobu-abe-gworks.com/archives/1722778.html

24歳・修業時代の作品

ジャン・フォートリエ「管理人の肖像」

引用元:東京ステーションギャラリー http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201405_JEAN_FAUTRIER.html

管理人の肖像
Tête d'otage
所蔵
ウジェーヌ・ルロワ美術館蔵
(フランス)
発表年
1922年

フォートリエの修業時代の具象画。このころは写実傾向でしたが、徐々に抽象化し、伝統的な油彩に反感を抱き、距離を置くようになります。

画壇から遠ざかったフォートリエが再び注目を集めたのが、1945年の個展であり、前述の「人質」です。

見る人の想像力を
掻き立てる作品

ジャン・フォートリエ「永遠の幸福」

引用元:http://www.nak-osaka.jp/gallery_25.html

永遠の幸福
所蔵
大阪中之島美術館コレクション
発表年
1958年

フォートリエ絵画の典型的な作品で、薄く塗られたカンヴァスに厚塗りで描かれた絵画です。

主題は「裸体」と考えられている作品で、二人の人物がただのカタマリのように表現されており、互いに寄り添いながら支えあっている...と、考察されています。土色をした裸体は幸福に到達し、大地に身を任せ樹木や砂と一体化したような印象を受ける、と評されていますが、なかには平和の意味を感じる人もいるなど見る人にとって全く違った想像できるのが面白い作品でもあるでしょう。「永遠の幸福」という題名を知らなくても、抽象画としても楽しめる作品です。

フォートリエが影響を受けた人物

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

1975年イギリスのロンドンで生まれ、1789年に風景画家トーマス・マートンのもとで絵画の基礎を学んだ画家です。1年ほど絵を学んだあとでロイヤル・アカデミー付属美術学校に入り、1797年にロイヤル・アカデミーへ油彩画を出展。1802年、26歳のときにはロイヤル・アカデミーの正会員になっています。1807年、32歳になる頃にはロイヤル・アカデミーの遠近法教授に就任し、歴史画や田園画、建築画などの版画をまとめた「研鑽の書」を19年間も出版し続けたそうです。

フォートリエは美術学校でターナーに傾倒しており、「管理人の肖像」など初期の作品はその影響を感じられるかもしれません。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーはイギリスの風景画家であり、ロマン主義を代表する人物の一人でしょう。オリジナリティあふれる独創的な風景表現を得意としており、色彩理論を活用し油彩画や水彩画などを多く制作しています。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが生み出した独特な風景の表現方法は、その後の印象派画家などに大きな影響を与えているようです。

初期の代表作には、ブリッジウォーター公爵の依頼によって制作された連作的な海景図作品群のひとつである「難波船」があります。ほかにも「カルタゴを建設するディド」「ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス」「宵の明星」「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」など多くを制作しました。

ジャン・フォートリエに関する
過去の展示inJAPAN

イメージ
引用元:東京ステーションギャラリー http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201405_JEAN_FAUTRIER.html

2014年というフォートリエ没後50年目に、東京ステーションギャラリーで行われた「ジャン・フォートリエ展」。

実はこれが日本初の本格的な回顧展ということで、そこまで日本で知名度や人気が高くないことが窺えます。 国内外から選りすぐりの90点が揃い、その中には「人質」の連作10点と彫刻2点の貴重な作品も。

画像は、そのとき展示された1927年の作品「兎の皮」(個人蔵)。

東京ステーションギャラリーによる展覧会のページ。

展覧会感想ブログ。小野寺さんという男性のgooブログで、作品の画像が時系列に並んでいるので、フォートリエの絵の遍歴もよくわかります。

産経新聞による展覧会紹介記事。

ジャン・フォートリエについて
現代人の声を拾ってみた

監修者

【監修者】
染谷尚人
sponsored by 本郷美術骨董館

戦争体験が作品に繋がっている作家です。そのため、イメージとしては暗い作品が多いのですが、晩年は明るい作風のものも残しており、その遍歴を見ていくのも楽しいと思います。

現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。

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