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2018年9月、サザビーズ香港にてあるアジア人アーティストの巨大な作品が、実に74億円もの価格で落札されました。サザビーズ香港における最高落札額が更新された瞬間です。この作品を制作したアーティストこそ、かの有名な趙無極(ザオ・ウーキー)。中国で生まれ、フランスで活躍した現代アートの巨匠です。
1921年2月13日、中国北京に生まれた趙無極。地域では名家として知られる家系において、7人兄弟の長男として彼が誕生しました。幼少期から書道を学ぶなど、伝統美術に接する機会の多かったその幼児体験が、彼の生涯のベースとなったのかもしれません。
1935年から6年間にわたり、杭州にある国立美術学校で中国絵画・西洋絵画を本格的に学び、1948年、妻子とともにフランスへ移住。活動の拠点をパリに置き、早くも1949年には画廊にて個展を開催しました。
この個展がピカソやジョアン・ミロなどのビッグネームの目にとまり、趙無極は一躍有名に。以後、多くのアーティストたちから刺激を受ける形で、自らの作風を追求し続けました。 1964年、フランス国籍を取得。妻の自殺など、プライベートでの辛い経験の乗り越えながら、ヨーロッパ全土、中国、日本などで積極的に個展を開催。日本においては、栄誉ある「高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞」を受賞しています。
2013年4月9日、スイスのニヨンにある自宅にて、静かに息を引き取りました。
それまでも数々のアーティストたちが、東洋美術と西洋美術の融合にチャレンジしてきましたが、いずれも趙無極の完成度には至らなかった、と評する美術家もいます。その大きな足跡は、洋の東西を問わず、未来のアーティストたちに多大なる影響を与え続けることでしょう。
霧、または海の深遠さを表現したかのような趙無極の傑作。すべての人間の心の奥に横たわる、深い闇のような場所を模索しているかのような作品です。 中国で伝統的に伝わる水墨画の技法、そしてフランスを中心とした西洋抽象画の技法。両者の融合を目指した趙無極にとって、まさにこの作品こそが彼の代表作の一つと言って良いでしょう。
中国を離れてパリに定住したのが27歳のとき。中国絵画の伝統は、すでに身についていた。東洋と西洋の美意識の融合は、私のなかで極めて自然に生まれたと思う
引用元:https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/wouki
ピカソは、ピカソのように描くことを私に教えた。しかしセザンヌは、私に中国の自然を観ることを教えた。私はモネ、ルノアール、モディリアニ、マティスを賞賛する。しかし、私が中国の絵画を再発見するのを助けてくれるのは、セザンヌである
引用元:https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/wouki
趙無極の作品のみを常設展示している美術館は日本にはありませんが、彼の作品を所蔵している美術館は日本にいくつかあります。
まずはアーティゾン美術館。旧名の「ブリヂストン美術館」のほうが、なじみある名称かもしれません。日本で最も多く趙無極の作品を所蔵している美術館、と言われています。
他にも、京都国立近代美術館や箱根彫刻の森美術館など、いくつかの美術館に趙無極の作品が所蔵されているようです。著名な 「アンドレ・マルローに捧ぐ-1.4.76」(3点組み/1976年)は、箱根彫刻の森美術館に所蔵されています。
過去には、日本国内のいくつかの美術館で個展も開催されたことがありました。「アンドレ・マルローに捧ぐ」(1975-1976年/フジテレビギャラリー)、「ザオ・ウーキー展 油彩と墨絵」(1981年/福岡市美術館)、「個展」(1987年/フジテレビギャラリー)などです。
2021年8月現在、趙無極に関するイベントが日本で開催される予定はありません。彼の作品を直接鑑賞したい場合には、所蔵している美術館に足を運んでみると良いでしょう。
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
三連で作られた幅10m、高さ2.8mの「1985年6月-10月 1985」。建築家・貝聿銘(イオ・ミン・ペイ)が、シンガポールで手掛けた建築プロジェクトに際し、趙無極に制作を依頼した作品です。 趙無極が発表した作品の中で、サイズが最大となったばかりでなく、落札額も最高を更新。2018年9月30日、サザビーズ香港において同作品は約74億円で落札されました。趙無極の過去の作品の中で、またサザビーズ香港における過去の落札作品の中で、さらには過去すべてのアジア人アーティストの手による作品の中で、この時点で、この作品が最高落札額を更新しました。