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数々の抽象画を残した偉大な天才画家として知られるワシリー・カンディンスキー。日本全国の複数の美術館で作品が常設されていたり、国内のメジャー美術館で展覧会が開催されたりなど、日本でも広く知られている現代アートのビッグネームです。
1866年、カンディンスキーはモスクワで生誕。父親はお茶などを扱う商人で、カンディンスキーは比較的裕福な家庭に育ったということです。
1886年、モスクワ大学に入学して法学を学んだ彼は、のちに同大学の助手に就任するなど、法学者としての一歩を踏み出しました。法学者としての道を歩むからわら、1896年にモスクワで開催されたフランス美術展にて、モネの「積みわら」の隠された抽象性に驚愕。以後、自らも画家への道を歩み始めることになります。
当初は風景画を熱心に描いていたカンディンスキーでしたが、その後、徐々に抽象画へと作風が変化。作風の変化の背景には、モネの「積みわら」の影響が長く彼の深層に残っていた、とも言われています。
1912年には、絵画や版画、音楽などの芸術を総合的に扱った「青騎士」を仲間たちと発刊。この「青騎士」を軸に、カンディンスキーたちは、芸術における一つの流れを作ることとなりました。カンディンスキー自身は「マルチな才能を持った総合芸術家」と評されることもありますが、その原点はここにあったのかもしれません。以後の作品には、音楽や版画のみならず、自然科学やテクノロジーの要素も積極的に作品へ採り入れています。
第二次世界大戦という激動の時代に芸術家として力強く活動したワシリー・カンディンスキー。「私は悲しくもまた幸福である」という言葉を残し、終戦直前の1944年、その生涯を終えました。
引用元:Artpedia https://www.artpedia.asia/wassily-kandinsky/
引用元:Artpedia https://www.artpedia.asia/wassily-kandinsky/
大きさ2メートルにもなる巨大な作品。黄色の長方形や斜めの赤、青の円、さらには、モノクロの円や黒の直線・カーブなど、複雑ながらも繊細な配色とパーツのフォルムが特徴の作品です。「円の時代」「コンポジションの時代」と呼ばれた頃のカンディンスキーの代表作の一つ。1925年の作品です。
わたしは漠然と、自分が王国の秘密を感じとっているような気がしていた。しかし、わたしには、この王国を芸術の王国へと結びつけることができなかった。・・・わたしには時折、自然が芸術家の努力をあざ笑っているように思われる時があった。だが、それにも関わらず、自然はあまりにもしばしば、わたしの前に抽象的な意味で『神のごとく』姿を見せるのである。
引用元:http://zip2000.server-shared.com/wassily-kandinsky.htm
作曲家は、聴き手の手をとって、彼の音楽作品の中に突入させ、一歩一歩その人を導きながら、”楽曲”が終わる時に手を離す。誘導法は完璧である。それが絵画の場合は不完全である。だがしかし!画家も同じくこの誘導法を応用することができるのである。
引用元:http://zip2000.server-shared.com/wassily-kandinsky.htm
日本国内には、ワシリー・カンディンスキーのみの作品を常設展示している美術館はありません。ただし、カンディンスキーは日本でも非常に人気のアーティストであることから、全国の様々な美術館で彼の作品を所蔵しています。
上記を含め、日本国内にある26の美術館でカンディンスキーの作品を所蔵しているようです(2021年9月現在)。
また、過去にカンディンスキー作品を特集した展覧会も全国で実施されています。
1987年に京都国立近代美術館で開催された「カンディンスキー展」には、実に8万人以上もの来場者が美術館へ訪れました。
日本でも大人気のワシリー・カンディンスキー。これからも、まだまだ全国の美術館で展覧会が開催されることでしょう。
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
高額の落札を連発することでも有名なカンディンスキーですが、ここでご紹介する「硬くて曲がる」こそが、彼の作品の中で最高落札額を記録した作品です(2330万ドル)。もともとは1936年にソロモン・R・グッゲンハイムがカンディンスキーから直接購入した作品でしたが、のちソロモン・R・グッゲンハイム美術館からオークションを経てコレクターに売却。実質的には、1949年から2016年までの長期間、公にされることがなかった貴重な作品です。