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バーネット・ニューマンは、1900年代半ばに活躍したアメリカの画家・彫刻家・著述家。特にカラーフィールド・ペインティングによる抽象表現画家として、世界中に広く知られている巨匠です。
1905年、ポーランド移民のユダヤ人両親のもと、ニューヨークで生まれたバーネット・ニューマン。ニューヨーク市立大学で哲学を学んだのち、家業であった服飾の仕事に2年ほど従事。その後は教師や著述家として生活をつなぎ、1930年より絵を描き始めました。
1940年代に入ると、ニューマンはシュルレアリスム風の作品を多く発表します。薄い垂直線で区分けされたカラー領域を「ジップ」と名づけ、以後、生涯にわたりこの「ジップ」がニューマン作品のメインテーマとなり続けました。
なお、単色かつ平坦な印象の作風が多いニューマンの「ジップ」ですが、初期の頃は色面がまだらでした。
1944年、ニューマンは当時最も新しいとされた芸術運動の絵画に注目。これをきっかけに、周囲からは新しい芸術運動のメンバーとしてみなされるようになりました。同じ運動のメンバーとしては、ヴォルフガング・パーレーン、マーク・ロスコ、ジャクソン・ポロックの名が並びます。
生涯を通じて「ジップ」をテーマとした抽象表現を追求したニューマン。多くの作品のタイトルは当初「無題」でしたが、のちになってニューマンは、「無題」だった作品に何らかの名前を付けることが多くなりました。それらの多くは、ユダヤ的な名前です。名作「アダムとイヴ」や「ウリエル」などがその代表です。「アブラハム」は、ユダヤ人でもあったニューマンの父親の名前でした。
若い画家たちを中心に多大な影響を与えてきたバーネット・ニューマンは、1970年、心臓発作のためニューヨークで亡くなりました。
2020年7月10日開催のオークション「ONE:a Global Sale of the 20 th Century」に出品された作品。識者は「バーネット・ニューマンと抽象表現主義運動の高水準を示す非常に重要な作品」と評するとともに、「美術史に輝く新しい未来、アメリカの発展の重要な瞬間」を表していると高く評価しています。
出品される作品は、計4点ある同シリーズのうち個人蔵の1点。予想落札価格は3000万~4000万ドル(約32億~42億7700万円)とされました。
バーネット・ニューマンの作品の象徴でもある「ジップ」を、高さ8フィート×幅1.5インチ(2.43メートル×4.1センチメートル)の三次元で表現した作品です。彼は、ジップをテーマとした作品を数多く発表していますが、その中には、この作品のようにジップそのものを作品としたものもあります。なお、ニューマンの表現形式は絵画が中心ですが、彫刻やこの『野生』のように三次元で表現した作品も少なくありません。
ロスコと激論を交わしたのは事実だ。彼は俗物世界に屈服した。ブルジョア社会に反対する私の戦いは俗物世界の全拒否だ
画家にとっての美学とは、鳥にとっての鳥類学に等しい
日本国内にバーネット・ニューマンの作品のみを展示している美術館はありませんが、かつてバーネット・ニューマンの作品を常設していた美術館として、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館があります。2021年現在では閉鎖されているものの、かつては館内に「ニューマンルーム」と呼ばれる常設スペースを設置していました。ニューマン作品を集めた企画展も催されたことがありました。なお2021年現在、同館所蔵のニューマン作品は特別展示室へと移動しています。
他にもニューマンの作品が展示されたイベントとして、2015年3月にMIHO MUSIEUM(滋賀県)で開催された「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」が有名です。ニューマンの後期連作であり傑作として知られる「十字架の道行き」14点と「存在せよⅡ」を公開した企画展です。開催に先立ち、東京大手町で専門家によるメディア向けセミナーが開催されるなど、当時はマスコミを大きくにぎわせた企画でした。
作品の数が比較的少ないせいもあり、以後は日本では大きな企画展が開催された形跡がないものの、「知性の画家」とも評されるニューマンの作品の評価は世界的にもますます高まっています。
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。