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現在、現代美術の一翼を担うものとして広く認知されているパフォーマンスアート。生まれたのは1970年代~1980年代で、それまでの「絵画」「彫刻」といった作品概念を逸脱した、新たな表現領域として誕生しました。
「時間」「場所」「パフォーマーの身体」「パフォーマーと観客との関係」という4つの基本要素を持ち、これらを含むすべての状態においてパフォーマンスアートは成立します。“現場性”を重視するのが特徴です。
行われる場所はギャラリーや美術館、路上などさまざま。行われる時間・長さも、一瞬で終わるものから繰り返し演じられるものまでさまざまです。パフォーマーは何かキャラクターを演じるのではなく、本人としてパフォーマンスを行うのが一般的。即興もあれば脚本に従うものもあり、ストーリーの有無もそれぞれです。また、観客に参加・助力を求める作品も珍しくありません。
代表的なアーティストに、ヨーゼフボイスがいます。彼はフィッシャーマンズベストとフェルト帽をまとい、数々のパフォーマンスを演じました。死んだウサギを動かして絵に触れさせるというパフォーマンスを行った『死んだウサギに絵を説明するには』が知られています。
また、「パフォーマンスアートのグランドマザー」と称される、マリーナ・アブラモヴィッチも有名。リズミカルな動きで指と指の間にナイフを突き刺していくナイフ・ゲーム『リズム10』などがあります。
さらに、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの2人による『ベッドイン』もパフォーマンスアートの一種といえるでしょう。ベトナム戦争の最中、マスコミに囲まれながら、ベッドに寝たままこもるというパフォーマンス(平和運動)を披露しました。
こうしたパフォーマンスアートは、美術だけでなく音楽、演劇、舞踊、文学など幅広い領域に見られます。現代芸術における各領域のインターフェイス的な位置づけになっているともいえるでしょう。
引用元:This is Media https://media.thisisgallery.com/20187748
ドイツ(当時は西ドイツ)・デュッセルドルフのシュメラ画廊で1965年に催された「死んだうさぎに絵を説明する方法」。
「これは観客をガラス壁の向こうに追い出して、ギャラリーの中で死んだ野うさぎを腕に抱き、うさぎに絵画の説明をし、その後、野うさぎの身体を絵画に直接触れさせた。ボイスは頭を蜂蜜や金箔で覆い、右足には鉄の靴底を履き、左足にはフェルトの靴底を履いていた。パフォーマンスの3時間後に鑑賞者は部屋に入り、ボイスは入口のそばにあるイスに兎を抱きながら座った。」(引用:アートペディア https://www.artpedia.asia/2017/02/09/ヨーゼフ-ボイス/)という、シュールなもの。
ヨーゼフ・ボイスはこちらのページでも紹介しています。
引用元:discovermusic https://www.udiscovermusic.jp/stories/a-double-celebration-two-years-apart
ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる、平和活動パフォーマンス。ハネムーンのホテルの1室に記者を招き、平和について語り合うというパフォーマンスです。
俺たちミュージシャンやパフォーマンス・アートは、人の人生は救えるけど、人の生命は救えない。そして人の命の危険の恐れがあるときに、芸能にお金を落とすか? というと、前の地震のときにそれは体験してると思います。人間は安心できてからパフォーマンスにお金を落とすのではないでしょうか。 https://t.co/80y91ggl0A
— Yo Hey Joe the Boogie Man (@YoHeyJoe) March 1, 2020
RT @goando: ワゴン一杯にGoogle Mapが動いたスマホを入れて、擬似的に渋滞を作り出すパフォーマンス・アート。
— wataryojp (@wataryojp) February 4, 2020
Google Maps Hackshttps://t.co/3YGJ0uel9r pic.twitter.com/AqRxIQb6S7
政治的なメッセージが色濃いことが多いのがパフォーマンスアートです。YouTubeなどもある今の時代の方が、発信する側はしやすいかもしれませんね。
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
水玉やかぼちゃで有名な草間彌生ですが、27歳で渡米し、名前をあげたのはパフォーマンスアートでした。
裸に水玉を描き、屋外でヌード・デモを行い、それは「クサマ・パプニング」と呼ばれました。過激なパフォーマンスは芸術なのかどうか、アートの街・ニューヨークでも賛否を生みました。
草間彌生はこちらのページでも紹介しています。