フランスの偉大な画家でもあり、彫刻家でもあるジャン・デュビュッフェは、多くの作品を世に残しています。非伝統的な素材を利用して描くことが特徴です。作品には、砂やタールなどを混ぜた厚塗りの油彩作品が多く存在します。引っかき傷のようなブラシストロークで独特の作品が多く存在し、ヨーロッパの伝統的な芸術を批判した作品を手がけ、フランスの国内のファンをはじめ、アメリカでも人気があります
ジャン・デュビュッフェは幼少期、ワイン卸業を営む裕福な家庭に生まれ、13歳年下の妹がいます。7歳の時にリセ・フランソワ一世校に入学し、1918年にはパリへ移り、ジュリアン・アカデミーで絵画を学びます。その頃に当時の前衛芸術作家たちと出会いますが、学校の授業に興味がなくなり、退学し独学で絵をはじめます。音楽や詩、言語学などと多くの事柄に興味をもち、イタリアやブラジルへの旅を経て、1925年に結婚し、パリでワイン商をはじめました。1934年に絵画制作を再開し、流行を強調するポートレート作品を制作しています。第二次世界大戦の影響で絵画制作をやめて、ワインの商売に専念しナチス・ドイツによるフランス占領時代に事業を拡大し膨大な利益を得たと、のちに刊行した自伝で伝えています。
ジャン・デュビュッフェの作品は人々に焦点をあてたものが多く、鑑賞者に心理的な衝撃を与えるような作品がほとんどです。フォーヴィスムやドイツ表現主義の色使いで、窮屈で閉鎖的な空間にある人間、個人を描いています。デビューからのちに、泥、砂、石炭塵、小石、ガラス片、糸、藁、石膏、砂利、セメント、タールなどの材料を混合した厚い油絵具などを使い表現していきます。このような材料で作る作品を好まない批評家たちから暴言を浴びますが、ポジティブな批評もありオリジナリティの高い画家とクレメント・グリーンバーグから評価されます。
また、ジャン・デュビュッフェはアール・ブリュット(アウトサイダーアート)の名付け親として、知られています。美術教育を受ける機会がなかった人たちの大胆で素朴な、時にはごく緻密であったり、大掛かりであったりするような作品がアール・ブリュットです。彼は作り手たちにも光を当てました。近年アール・ブリュットが見直されてきていますが、ジャン・デュビュッフェがこのアール・ブリュットに対して果たした役割は大きいです。
引用元:artpedia
https://www.artpedia.asia/jean-dubuffet/
引用元:artpedia
https://www.artpedia.asia/jean-dubuffet/
友人の似顔絵を描いた作品。その他の作品と同じ材料を使い、反心理的、半人間的にわざと描いています。このころから友人たちをモデルにほとんど似ていないポートレイトシリーズを始めています。
「私が作品を描く時には、一握りの専門家を喜ばせようなどとは思っていません。それよりは、仕事を終えて通りを歩いている人を楽しませることができれば、と思っています。絵にのぼせた玄人ではありません。」
アウトサイダー・アート(著:服部 正/出版社:光文社新書/発売日:2003/9/17)
「Normal means lack of imagination and creativity.「普通」とは想像力と創造性が欠けていることを意味します。」
公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 東京都渋谷公園通りギャラリーではジャン・デュビュッフェにコレクションされた作家や現代の作家の作品を展示しています。独創性のある、既成概念にとらわれることがない多様な表現のある作品を展示しています。 それぞれの人がチカラと輝きをもった存在であることこの展示会を通して考えています。ジャーナリストの伊藤詩織氏や、料理研究家の土井善晴氏というまったくジャンルの違うようなことなる分野で活躍されている方に、「カワル角度案内人」として参加していただき、それぞれの視点や観点からの案内を企画しています。音声ガイドでは、歌手・アーティストのコムアイ氏によって東 京都渋谷公園通りギャラリーにて無料で貸し出しを行っています。奇抜で独創性のある作品をさまざまな角度から当時の視点と現代の視点で読み解いています。
ジャン・デュビュッフェ日本で見られるおもな作品
『愉快な夜』 (1949年)国立国際美術館
『ご婦人のからだ』(1950)国立西洋美術館
『作品』(1948)大原美術館
『二人の脱走兵』(1953)愛知県美術館
『はばたき』(1961)福岡市美術館
ラフで強い原色を使い描いています。人をテーマにし、当時のフォーヴィスムやドイツを表現し、窮屈で閉鎖的な印象を与える絵を描いています。