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自身の作品に登場する青年にそっくりな石田徹也氏。でも、本人は自画像ではないと否定しています。
日本社会の日常風景や人々の姿、実体験から得たイメージを、シュルレアリスティックに描いた作風で知られる石田徹也(1973年~2005年)。バブル崩壊後の就職氷河期に社会へ出ることになった「ロスジェネ」(ロスト・ジェネレーションの略)と呼ばれる世代の画家です。
どの作品も独特の世界観でインパクトがあり、本の装幀やCDジャケットにも複数使用されているので、「このシュールな絵、どこかで見たことある!」という人も多いかもしれませんね。
生まれは静岡県焼津市。石田徹也は美術系の高校を志望していたそうですが、両親からの要望で普通科の高校へ進学。その後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業しています。
1995年、大学在学中の22歳の時、第6回グラフィックアート「3.3m2(ひとつぼ)展」でグランプリ受賞。大学卒業後も、JACA’97日本ビジュアル・アート展(グランプリ)やVOCA展2001(奨励賞)など、複数のアート展で受賞しています。
若手画家としてめきめき頭角を現していた石田徹也ですが、2005年、踏切事故により31歳という若さで死去しました。
翌2006年には、世界的なオークションハウスであるクリスティーズが開催したオークション「アジアの現代美術」に『無題』(2001年)が出品され、78万香港ドル(約1,200万円)で落札されるなど、海外からの注目も高まっていきます。2019年には、スペイン・マドリットにあるソフィア王妃芸術センターでの展覧会が開かれました。
日本でも、2006年に「新日曜美術館(NHK教育)」で紹介されたのをきっかけに、より多くの人から知られるように。2007年の「悲しみのキャンバス展」(静岡県立美術館)や、2013年~2015年に足利市立美術館や平塚市美術館を巡回した「石田徹也展 ノート、夢のしるし」など、回顧展も度々開催されています。
こちらは、『飛べなくなった人』の1年前に制作された作品。この頃はまだ、仲間たちとほろ酔い気分で飛んでいました。フレッシュな新入社員といった感じでしょうか。この後、青年(または石田徹也本人)の心境がどのように変化していったのか、2つの作品を見比べてみると興味深いですね。
ちなみに、同時期に制作された『居酒屋発』という作品もあります。こちらは、ほろ酔いのサラリーマン3人組が機関車と一体化している作品です。
石田徹也が生まれ育った静岡県にある美術館。県ゆかりの作家・作品のほか、富士山の絵画をはじめ、多くの景勝地を誇る静岡ならではの風景画・山水画を中心に収集しています。
石田徹也の作品は、石田の両親から寄贈された21点を所蔵。『飛べなくなった人』『SLになった人』『社長の傘の下』『燃料補給のような食事』『めばえ』など、数々の代表的な作品がこちらに所蔵されています。
石田徹也の作品が展示される企画展や回顧展も度々開催。どの作品も細部まで緻密に描かれているので、間近でじっくり鑑賞するのがおすすめです。機会があれば、静岡県立美術館まで足を運んでみてはいかがでしょうか。
●住所:〒422-8002 静岡県静岡市駿河区谷田53-2
#石田徹也#日曜美術館
— ポッター (@honesty1q63_kp) March 29, 2020
静岡の画家つながりで、焼津出身の石田徹也の特集を久しぶりに。
好きで時々画集もめくってるけど、どの作品みても、あっ、これオレだっ、って思うことよくある。
見た目と違って決して暗くならない、素直になれる😊 pic.twitter.com/NGRacLoyAS
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
石田徹也の作品には、機械や道具などの物と合体した青年をモチーフにしたものが多くあります。『飛べなくなった人』は、ボロボロになった飛行機の遊具と一体化したサラリーマンが描かれている作品。よく見ると、飛行機の翼には某大人気マウスに似たネズミのキャラクターも。
遊具は古びていて動かなそうですし、そもそも本物の飛行機でもないので、まさに「飛びたくても飛べない」状態ですね。日本社会の生きづらさや不安、抑圧、孤独などが、どこか面白おかしく表現されています。現実にはありえない組み合わせのモチーフが描かれているのに、不思議と共感できる人が多い作品ではないでしょうか。