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Marcel Duchamp。20世紀美術に絶大な影響を与えたフランスの美術家です(1887年~1968年)。
1904年にパリへ上京し、5年間にわたり、アカデミー・ジュリアンで絵を勉強。同じくフランスの画家であるポール・セザンヌや、フォーヴィスム(野獣派)、キュビスム(立体派)、フトゥリズモ(未来派)といった新たな潮流から影響を受け、1912年にキュビスムの一派「セクシオン・ドール(黄金分割)」展で作品を発表します。作品名は『階段を降りる裸体』(フィラデルフィア美術館)。この作品は翌年にニューヨークで開催された「アーモリー・ショー」に出品され、未来派と立体派を融合させたような作風が大きな反響を呼びました。
しかしデュシャンはそれ以降、絵画(油絵)制作を放棄。30代半ば以降は作品らしい作品を残していません。
1915年にはアメリカに渡り、フランシス・ピカビアやマン・レイらとともに、ニューヨーク・ダダ(前衛的な反芸術運動)を推進。この運動の中心的人物として知られています。
デュシャンを語るうえで外せないのが、既述のように、30代半ば以降ほとんど作品を残していないこと。油絵の放棄後は、既製品をそのまま作品とする「レディ・メイド」を発表しており、小便器に「R.Mutt」と署名しただけの『泉』が有名です。また、大きなガラス板を用いた作品『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』は未完のまま終わらせています。後半生は美術活動よりもチェスに没頭し、その腕前はセミプロといえるものだったそう。
そんな生き様から、「芸術を捨てた芸術家」などと神格化されることも多いデュシャン。ひそかに手掛けていた作品(『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』)を死後に発表するという、前代未聞の遺言を残した話も有名です。
またデュシャンはこのようなメモ書きを残している。
「これしかない。雌としては公衆小便所、そしてそれで生きる。」
かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の絵葉書に、口ひげやあごひげを描き加えた作品。学生時代誰もが歴史の教科書で通る道ですが、1919年のデュシャンが始祖だった?
「L.H.O.O.Q.」をフランス語で発音すると、「彼女はお尻が熱い」になり、「性的に興奮した女性」「下に火が付いている」という解釈になると言います。
この作品の複製は、さまざまなサイズでデュシャンが生涯にわたって発表しています。
通称、大ガラスとも呼ばれる作品で、1915年から1923年の8年間に渡って制作し、未完成の作品のまま制作を中断。上のパネルには「花嫁」、下のパネルには「9人の独裁者」を表しており、デュシャンは「浮かれ騒いだシーン」だと説明しています。
絵でも彫刻でもない、この作品を見た人は何とも表現できない感想を持つ人も多いでしょう。この芸術的価値に最初に気が付いたアンドレ・ブルトンは「素晴らしく独創性を兼ね備えた作品で、20世紀の生んだ意義のある傑作」「未来に対する記念碑」と現代美術のトップクラスに並ぶ作品と評価しています。
私は働くよりも呼吸をしていたい。
よい趣味は悪い趣味と同等に有害である
私は芸術を信じない。芸術家を信じる
写真家・美術家として活躍している人物で、東京やニューヨークなどを拠点に活動中。
杉本氏は影響を受けた人物として、マルセル・デュシャンとデュシャンを挙げています。この二人は生まれた時代や場所は違いますが、ともに今までの芸術における「当たり前」を破った人物です。ただの便器をアートにしたデュシャンと、ただの切った竹を花入れとして使った千利休。なるほど、確かに似ています。
杉本氏は写真を用いた作品を1970年代より発表している他、デュシャン・千利休の影響として「今冥途(レディメイドと「今、冥途にいる」のダジャレ)」という茶室を作成しています。
杉本氏の代表作は、「ジオラマ」や「ポートレイト」シリーズ。「ジオラマ」は杉本氏がニューヨークで名を広めたきっけかけになった作品で、アメリカ自然史博物館の中に展示されています。かつて栄えた古代の生き物や古代人のジオラマを作成し、その存在が今でもそこにあるかのように写真に写している作品です。本来の姿を映しだす写真と言うアイテムを使って、「虚」を映し出しているモノクロ写真は1976年にニューヨーク近代美術館・写真部門で評価されています。
アナログニズム(あえての時代錯誤)の愛好者という杉本氏が持っている哲学も写真から感じとることができるでしょう。写真を見ることで、今の便利な暮らしに対して改めて考えさせるきっかけになるかもしれません。
1950年に名古屋で生まれ、1975年に大阪芸術大学音楽学科を卒業しています。70年代の藤本氏の作品はエレクトロニクスを用いたパフォーマンスやインスタレーションが多く、80年代よりサウンド・オブジェの制作を手掛け、音をカタチで表しており個展などで発表してきました。
幼少時代よりに無意識にマルセル・デュシャンの世界観に触れてきたとされており、2006年には森村泰昌と併せて『「これはデュシャンではない」、ですか。』という展示を行い、洋式便所にも見えるシュレッダーに「泉」と名付けて展示したりするなど、デュシャンのアートを見つめなおすかのような作品を展示しました。
幼いことから音への関心が高く、またアナログからデジタルへ移行する経験をした藤本氏の作品は、音、特にノイズや共鳴が上手に取り入れられています。そんな藤本氏の代表的な作品と言えば、EARS WITH CHAIR。1990年に発表された作品で、椅子の横、ちょうど耳の高さに2本の長いパイプの筒が設置された立体芸術です。目には見えない気配や振動を聞くことができる、空間の作る音を楽しめるアートです。
ほかにも2016年にシュウゴアーツ・ウィークエンドギャラリーにて開催された展示会でレコード盤の上に石炭を敷き、その上を鑑賞者が歩くことによって音の演奏者へと変わる作品も。藤本氏の作品はどれも見ている観客が楽しみ、五感で感じることができるものばかりで、ただ見るだけの芸術ではなく、その先をゆく新たなステージへ導いてくれます。
第一次世界大戦中である1910年代にヨーロッパやアメリカで起こった芸術運動のことです。エリア別にチューリッヒ・ダダやパリ・ダダなどと言われることも。既成概念や戦争の愚かさ、理性などに対抗する考え方を否定し、数多の現代美術の基礎を築く芸術家たちが参加していきます。従来の芸術に対する価値観を全て壊し、新しい芸術を生み出す動きになっていき、その後の芸術へ一石を投じることになっていきました。
1921年ころにはダダイズムは無意識の世界に目を向けるようになっていき、シュルレアリスムへと受け継がれていきます。
日本では1920年ごろよりダダイムズが伝わり、「ダダイスト新吉の詩」という詩集まで出てきました。のちに宮沢賢治や中原中也などにも影響を及ぼしたとも言われています。
2018年に東京国立博物館で行われた。今までもデュシャン展は開催されていますが、ここまでの量のコレクションがまとまった形で見られるのは日本初。
東京国立博物館によるフィラデルフィア美術館交流企画特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」展示作品一覧。第1部は『マルセル・デュシャン没後50年記念「デュシャン 人と作品」』、第2部は『デュシャンの向こうに日本がみえる。』と、二部構成だったことがわかります。
CasaBRUTUSによる展覧会紹介記事。多くの写真が使われており、展覧会の雰囲気がつかめます。
美術手帖による展覧会紹介記事。「マルセル・デュシャン=《泉》という図式はもうやめにしませんか?」という書き出しが、当サイトもドキッとするところ。
展覧会感想ブログ。『「マルセル・デュシャンと日本美術」デュシャンの生涯の活動を俯瞰して見ることができる1部に対して、日本美術と対比をさせた第2部への反応が、どうもよろしくない印象を受けます。第2部の日本美術とデュシャンについて考えたことをさみだれに記録。』という導入から、詳細なレポートと書き手のコロコロさんの分析が続き、興味深い内容になっています。
「マルセル・デュシャンとアンディ・ウォーホルがレスリングをしたら、どちらが勝ちますか?」「デュシャンだね。僕たちは皆、デュシャンの思想を引き継いでいて、オブジェクティブ・アートが持つ可能性追求の過程にいるんだ」 ―Jeff Koons
— 現代アート発言bot (@ArtVoice_bot) February 16, 2020
Marcel Duchamp[b.1887-1968]
— カンタン現代アートbot (@artistsbot) February 17, 2020
便器でもアートこと「泉」という作品で芸術は何でもアリにしちゃった。
デュシャン曰く、自作じゃなくても、複製でも、見た人に「なにこれ?」って思わせたら勝ちらしい。チェス大好き pic.twitter.com/qyGlTKdEPR
デュシャンは中世まで風景、人物や物語を表す芸術の様式に疑問を投げかけ、これからの芸術はそこに込められた意味が重要であるとしました。
— a.a (@c_art_archive01) February 16, 2020
「現代アート」はデュシャンから始まりました。いまでは当たり前になっているような手法を、最初に行い、賛否すらものともしなかった。これが「アーティスト」という存在なのでしょう。
現代アートから骨董・古美術までを扱う「本郷美術骨董館」代表。20歳から草間彌生の作品を集めているコレクターでもある。BSフジで放送中の、若手日本アーティストを紹介する番組「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」制作提供も行っている。お店では鑑定をするかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演し、現代アート界を盛り上げている。
展覧会に出品したものの、展示されることもなかった問題作。それもそのはず、男性用便器に「R.Mutt(リチャード・マット)」とサインしただけの作品だったから。(「mutt」はバカ・のろまと言った意味を持つ俗語)
2020年の今でこそ、これもある種の芸術として受け入れられる土壌はできていますが、当時は受け入れられたとはいいがたいものでした。しかし、この芸術の枠を外そうとするディシャンの想いが、型にとらわれない「現代美術」の始まりだとも言われています。
展示されなかったことで、実物を見た人はほとんどいないということも、この逸話に拍車をかけているのではないでしょうか。