このサイトは 「本郷美術骨董館」をスポンサーとして、Zenken株式会社が運営しています。
ナムジュン・パイク(1932年~2006年)は、メディア・アートの先駆者として知られる韓国出身のアーティスト。複数台のテレビに映像を映したインスタレーションで知られており、「ビデオ・アートの父」とも呼ばれています。
生まれは、日本統治時代の京城(現在の韓国・ソウル)。朝鮮戦争の戦禍を逃れるため、1949年に香港へ、翌1950年には日本へ移住しました。東京大学では美学・美術史を専攻。卒業後はドイツへ渡り、ミュンヘン大学で音楽史を学びました。カールハインツ・シュトックハウゼンやジョン・ケージといった現代音楽家との出会いは、ナムジュン・パイクに大きな影響を与えています。
1960年代には、ジョージ・マチューナスとの交流から、前衛芸術運動「フルクサス」に参加。フルクサス・アーティストの中でも、ヨーゼフ・ボイスは終生の友でした。1963年に開催した初の個展では、13台のテレビを使ったインスタレーションを制作。その後もドイツ、アメリカなどで次々に作品を発表し、メディア・アートの開拓者として代表的なアーティストとなりました。
日本との関わりも深かったナムジュン・パイク。美術評論家の伊東順二には「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称されています。また、坂本龍一、オノ・ヨーコ、赤瀬川源平といったアーティストとも親交がありました。彼の作品をコレクションしているワタリウム美術館(東京)では、没後10年にあたる2006年に回顧展を開催しています。
引用元:CINRA.NET https://www.cinra.net/news/20160702-namjunepaik
引用元:ワタリウム美術館 https://www.greenwise.co.jp/topics/542/
木々の間に、いくつものテレビモニターが実のようについている作品。自然と機械という異質なものを融合させて、不思議な存在感を放っています。
ブラウン管のモニターから流れるのは、前衛作曲家であるジョン・ケージの映像。タイトルの『ケージの森』が「ジョン・ケージの森」だったとは、ナムジュン・パイクのユーモアや言葉遊びのセンスを感じます。
引用元:美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/20881/pictures/1
50台以上のテレビモニターと複数のチャンネルが交錯する大型のインスタレーション。目の前で次々と変わる映像に圧倒されます。
こちらの作品は、インターネットが普及し始めた1990年代半ばに制作されました。情報をアートに変換させるためにパイクが生み出したメディア・アートが、インターネット時代を先取りしていたことを象徴するような作品です。
ナムジュン・パイクの没後10年となる2016年に、東京のワタリウム美術館で開催された展覧会。ワタリウム美術館は、ナムジュン・パイクの作品を数多くコレクションしている美術館です。この展覧会では、インスタレーション、映像作品、ペインティングなど、230点にも及ぶ作品が前後半に分けて展示されました。ビデオ・アートの誕生や歩み、ヨーゼフ・ボイスとの共同作品に加え、未発表の原稿や映像なども紹介することで、ナムジュン・パイクの思想的背景や人物像にも迫るものとなりました。
ワタリウム美術館にてナムジュンパイクと弓指さんの個展。
— HiroeKoba (@studiohkQ) July 30, 2016
パイクの芸術みてると身近でユーモアあって、手の届く距離でスパークしてる。
60.70年代アツイなぁ!!
弓指さんのお話しも聞き入って、改めて芸術の持つ意味を理解。 pic.twitter.com/eZUCVulQAs
ワタリウム美術館でやっているナムジュンパイク展は、ジパングのアルバムでユーラシアの横断のことを思っていたから、ボイスという相方がいるのが羨ましかった。次のアルバム制作で世界の葛藤にまた焦点が合ってるので、それについて明快すぎる態度を突きつけられてひねくれるわけには行かぬと鼻息荒🏊
— コムアイ KOM_I (@KOM_I) November 11, 2016
ドイツの前衛芸術家、ヨーゼフ・ボイスとの親交が深かったナムジュン・パイク。前衛芸術運動「フルクサス」のアーティストとして出合った2人は、その後も共同制作をおこなうなど、生涯の友人でした。
この作品は、ヨーゼフ・ボイスの死後、ボイスへのオマージュとして制作された作品です。ボイスのトレードマークである帽子をかぶった姿がお茶目で、パイクのボイスに対する想いや、2人の深い友情が感じられて素敵ですね。